(画像=公式HPより)

コムデギャルソン・川久保玲。その珠玉の名言

世代を越えてファンを持つ彼女の素顔とは

1969年の創立以来50年近くもファッションの最前線にあり続け、世代を越えてファンを持つコムデギャルソン(Comme des Garçons)。世界中に200以上の直営店を持ち、ビートルズやルイ・ヴィトン、ディズニーなど業界の垣根を越えた斬新なコラボレーションで、常にファッション業界を刺激し続ける存在です。また、クリエーションとビジネスを両立させるデザイナーとしても知られています。

その芯のあるクリエーションは、オーナーでありデザイナーの川久保玲の強い姿勢がファッションとして具現化されたもの。彼女の言葉は、私たちが生きていく上で必要なエナジーに満ちあふれています。

コムデギャルソンのスタート

川久保玲は、1942年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科を卒業後、株式会社旭化成宣伝部に入社します。その後フリーランスのスタイリストへ転身。広告の撮影などでイメージする服が見つからず、自分自身で服を作ったのが始まりで、1969年、26歳の時に「コムデギャルソン」を創立。

そういうどうにもならない不平等の中でも、自分は自分だって頑張って生きていかなきゃならない辛(つら)さがある。不条理って言ったら言い過ぎかしらね。子供の頃からずっとそういうものに怒りを感じてきました。その気持ちを今後も持ち続けたい。

(引用元)2009年12月21日付朝日新聞DIGITAL

いちばん大切なものは、仕事。コムデギャルソンの仕事に共鳴してもらい、ギャルソンの服をきた人がドキドキしたり、何か感じてもらえることが一番大事。

(引用元)2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー

美しさの価値観を変えた「黒の衝撃」

73年、30歳の時にブランドを株式会社化、1981年にはパリコレクションへ初参加を果たします。セクシーでエレガントなものを求める、西洋的な古来の感覚に対し、コムデギャルソンが打ち出したコレクションは真っ黒で穴だらけのボロボロのセーター。

当時、黒は喪服のイメージが強く、デイリーウェアとしては一般的な色ではありませんでした。無表情でランウェイを歩くモデルが着たこのルックは、「黒の衝撃」として世界中に大きな衝撃を与えます。

ファッション誌の評価は賛否両論。川久保玲は、既存の概念に対して、美しさの定義はひとつだけではないという大きなアンチテーゼを示したのです。

garsons② (写真=Thinkstock/Getty Images)

無視されるよりも、けなされるほうがましです

(引用元)2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー

作品に対し『よかったですね』『綺麗だったですね』と皆から評価を受けたら、不安で仕方ないです。そんなにわかり易いものを作ったのかと、自己嫌悪に陥ってしまいます

(引用元)2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー

進化と挑戦を続ける川久保玲の生き方

その後は元のイメージである前衛的なコレクションを発表しながらも、買いやすいワンポイントTシャツライン「プレイ・コムデギャルソン」、黒一色で価格を抑えた「ブラック・コムデギャルソン」など時代に応じたさまざまなラインを立ち上げ、常に多角的な視点でファッションビジネスを世界中に展開。

2012年には、ファッション界のオスカー賞とも言われる「CFDA(Council of Fashion Designers of America)ファッションアワード(国際賞)」を受賞。まさに「ビジネスをデザインする企業」として半世紀近くもファッションの最前線にありつづけています。

本当は私だってそんなに強くはないですよ。ただ、強気のふりも時には必要です。どうしよう、としょんぼりしているだけでは何も変わらない

(引用元)2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー

(毎年たくさんのラインを発表し続けていますが、プレッシャーを感じることはありませんか?との問いに対して) そんな時は『きっとやれる』と自分に言い聞かせます。中途半端や軽率なことは大嫌いです。コレクションの度にこれが最後かもしれないと思います

(引用元)i-D JAPAN 1992年4月号より

変わらずに愛される中心には、仕事やファッション、経営、デザイン全てに一貫したスタイルがあり、挑戦と変化を恐れない川久保玲の生き方が反映されています。迷った時、くじけそうになった時、川久保玲の媚びない強さがあなたを励ましますように。

この記事をシェアする

個性的な連載で「投資」を身近に